-ペンペンの霧島マナ観察記録-
吾輩はペンギンである、と言うと余りに有名なあの作品の剽窃と疑われるやも知れぬ。 ここは無難に自分のことを私と称しておこう。 私はペンギンである。名前はペンペン。 生まれたのは多分どこかの研究所で、ここで私は初めて人間というものを見た。 而も、後から聞いたところによれば、それはカガクシャという人間で一番獰悪な種族だったそうな。 紙幅の都合で生い立ちを事細かに語ることは到底不可能なので、 ここは私が葛城ミサトという女性と同居するようになってからを書こう。 何故彼女と暮らし始めたのかは忘れて仕舞った。 兎に角、このミサトさん(私は敬意を払って彼女をこう呼ぶ)は軍人という種類の人間で、 さらにトシマという種族でもあるらしい。 人間の間では随分と恐れられているようだが、私に対しては頗る親切で、 私たちは、毎夜、麦酒で乾杯しつつ飲み明かすのである。 ところが、暫くしてこの私とミサトさんとの平穏な日々を脅かす存在が現れた。 碇シンジ、及びなんとかアスカ(姓は失念した)という人間で、種族はチュウガクセイ。 殊にアスカという人間は極めて獰猛で、 ことあるごとに私を叩いたり蹴っ飛ばしたり逆さ吊りにしたりする。 然し、時には人が変わったように「ペンペンかわい〜♥」などと私を抱きしめたりするのである。 どうもこの娘、私のことをぬいぐるみかなにかと勘違いしているフシがある。 一方、シンジはたいした問題ではない。葛城家ヒエラルキーの最も下位に属するのが彼だ。 言うまでもなく、ミサトさん→アスカ→私→シンジである。 もしかすると、人間界では常に♀が♂に優位するのかも知れない。
さて、ある日のこと、 件のシンジが朝方から妙にそわそわしながら、温泉がどうのと言っている。 言い忘れたが、私はペンギンの中でも温泉ペンギンに属する。 従って、温泉は大好きである。 そこで、私は、 「温泉に行くのなら、私も連れて行ってくれ」 と言った。 大して聡明とは言えない彼も、この時ばかりは私の言葉が分かったようだったが、 しかし、なぜか不承顔である。 「だめだよ、ペンペン、今日は……」 いくら温厚な私でも、このように理由もなく拒否されては少々腹が立つ。 私は、「連れて行けない訳でもあるのか」と詰め寄った。 「うーん、困ったなぁ……」 暫時説得を続けていると、彼は、依然不承顔ながらも私の同行を認めた。 "待ち合わせ場所"とやらに到着して、なぜシンジが私の同行を渋ったのか漸く合点がいった。 霧島マナとかいう人間と所謂デイトの約束をしていたのだ。 聞くところによると、このマナなる人間は、"スパイ"といって、ミサトさんと敵対する種族らしい。 かかる危険人物と逢い引きとは一体何事であろうか。 マナは私の姿を見るや、「かわいい〜〜っ♪」と言って、ぎゅーっと抱きしめた。 やれやれ、アスカと同じである。それにしても、大の男に向かって「かわいい」はなかろう。 私は、よもや盗聴器や発信器の類を付けられてはいまいかと、フリッパー(※)で背中を探った。 ※ペンペンの豆知識:フリッパーとは、我々ペンギンに特徴的な器官で、 他の鳥類でいうところの翼にあたるものである
アンドレア・デル・サルト曰く、「天に星辰あり、地に露華あり。飛ぶに禽あり、走るに獣あり」。 何たる言い草! 我が眷属に対する甚だしい侮辱である! 空を飛べなくとも、我々の誇りの高さは些かも劣りはせぬ! …………少し脱線した。話を戻そう。 シンジと、マナとやらのデイトは略丸一日に亙った。 最初は、海賊船とかいう装飾過剰な乗り物で大きな水たまりを一周した。 次に、ロープウェーとかいう頗る不安定な乗り物で、山の頂に登った。 尤も、不安定というのは、リュックサックに押し込められていた間中、 ゆらゆらと揺れていたので、そうではないかと想像したまでである。 このロープウェーには、失敬にもペンギンは乗せてはならぬ決まりだそうで、 私はずっと隠れていなくてはならなかったのだ。 山頂で、マナの持参したサンドイッチなるものを食した。 味はそう悪くはなかったが、普段シンジが作るものの方がより美味であるようだ。 二人はもう完全にデレデレ状態で、スパイ人間の方は「私のことマナって呼んで」などと言っているし、 シンジもシンジで「うん、マナ……」などと応答している。 こやつは葛城族の一員としての自覚がないのだろうか。 たかが数枚のサンドイッチで敵に魂を売り渡すとは、実に情けない。
最後に、我々は待望の湯本温泉郷へとやってきた。 今日はシンジの腑抜けた態度に何度も苛々させられたが、すべて水ならぬ湯に流してやろう。 私は、宿に着くやいなや脇目もふらず湯殿へと走った。 一方、シンジとマナは脱衣場とかいうところで時間を無駄にしている。 人間は服を着たり脱いだりを毎日何度も繰り返さなければならない。不便なものである。 暫くすると、彼らが入ってきた。湯煙でしかとは見えぬが、どうも二人一緒のようだ。 まぁ善い。おそらくこれが混浴というものであろう。 さて、湯につかること数分。何とも心地よい。 私は、文字通り"裸の付き合い"にて、人間達とより一層親睦を深めようと、彼らの傍へ泳ぎ寄った。 …………赤い。頗る赤い。シンジの顔が真っ赤である。 いくらなんでも、のぼせすぎではないだろうか。 おまけに、人間の生態についてはよく知らぬが、体の一部が"膨張"している。 もしや、これがおさまるまで湯船から出られないのではあるまいか。 「クェ?」 ペンギン語で「大丈夫か?」と尋ねたが、どうも要領を得ない。 湯あたりごときであたら若い命を散らせたとあっては、さすがの私も寝覚めが悪い。 仕方がない、一肌脱いでやるとするか。 私は、サッと湯船から上がると、素早く脱衣場へと向かった。 「あっ、ペンペン、ダメだよ勝手に走り回っちゃ!」 シンジがそう言って追いかけてくる。巧い具合に湯から出られたようだ。 そういうわけで、私のスパイ人間観察は不十分に終わった。 唯一断言出来るのは、あのマナなる人間は♀なのに乳房が殆ど無いということである。 ミサトさんと比べると同じ人類とは思えない程の差異がある。 今回得られた情報は僅かであったが、大恩あるミサトさんの為、 今後も油断無くスパイ人間霧島マナの観察を続けていく所存である。 (了)